小説本編

第四章🎵 Vincent (Starry Starry Night) ─ 夢を照らす、夜のささやきby Don McLean(1971)

ミオとルナのMorningWords

1話4章アイキャッチ

部屋のドアを開けると、ほんのり温かい空気が頬を撫でた。

夕方の陽射しが残るアパートの一室には、コーヒーと紙の香り、そしてミオの日常が静かに息づいている。

「ただいま、ルナ」

声をかけると、カーテンレールの上から、しなやかな影がすっと降りてきた。

黒猫──ルナは、まるで空気のような足音で床に降り立つと、ミオの足元に頭をすり寄せた。

「お茶、淹れようか。今日はアールグレイの気分かな。ちょっと、ほっとしたくて」

キッチンの明かりが灯り、ケトルが静かに湯を沸かし始める。

ミオは、陶器のキャニスターから丁寧に茶葉を取り出し、急須に入れた。

アールグレイ特有のベルガモットの香りが、湯気とともに部屋の空気に混ざっていく。

棚からアロマディフューザーも取り出して、ラベンダーの精油を数滴。

淡い光がぼんやりとゆれて、アパートの一角が静かな癒しの空間に変わった。

──夜のルーティン。

それは、ミオにとってただの習慣ではなく、一日の心を整える「祈り」のような時間だった。

着替えたバスローブの肌触りに包まれて、ソファに体をあずける。

その膝に、当然のようにルナがのってくる。

小さなぬくもりが、今日という一日を受け止めてくれているようだった。

ミオは、少しだけうつむいて口をひらく。

「ねぇ、ルナ。わたし、時々怖くなるの。夢に向かってるはずなのに、本当は何も掴めてないんじゃないかって。書く言葉も、誰かの心に届いてるか分からなくなっちゃう」

ルナはその瞳で、じっとミオを見上げた。

柔らかく、でも深く、迷いの奥まで見通すようなまなざしだった。

そして、そっと前足をミオの手の上に置いた。

『夢はね、迷ったぶんだけ深くなるものなのよ。怖くていい。立ち止まってもいい。そういう時間が、言葉を育てるの。あなただけの言葉を──』

ミオは、静かに目を伏せた。

まるで何かが、胸の奥に静かに染み込んでくるようだった。

「……ありがとう。ルナはいつも、大切なことを思い出させてくれるね」

ルナは、くるんと丸くなりながら喉を鳴らす。

『だって私は、あなたの声だから。あなたが誰かの気持ちに寄り添いたいって願った時に、生まれたんだもの』

ミオの頬が、ほんの少しだけ熱くなる。

そう──高校生のあの日。

泣きながら帰る放課後の校庭の隅で、誰にも言えなかった気持ちを、ルナだけには話せた。

そして、今日のカフェ「Ciel」で出会った店主の女性も──

きっと同じように、誰かにそっと聞いてほしかったのだろう。

「誰かの不安に、耳を傾けられる人になりたい。それが、きっとわたしにとっての“書く意味”なんだと思う」

机に広げたノートに、今日の気づきを書き留める。

その文字は、小さく、でも迷いなく走っていた。

【今日の気づき】言葉は、想いの橋。声にならない誰かの気持ちに、ちゃんと届くように書きたい。そして、わたしも──ルナと一緒に、心の灯りをともし続けたい。

ペンを置くと、ミオはそっと息をついた。外を見ると、夜の街が静かに息づいている。

遠くの電車の音、木々を撫でる風の気配、そしてカーテンの隙間から覗く細い月。

夢はまだ遠い。

けれど、今日一日が、確かに未来へつながっている気がした。

ルナがカーテンレールへと軽やかに飛び乗り、優雅に体を丸める。

その姿を見て、ミオは微笑んだ。

『今日も、よく頑張ったね。ミオ』

「うん、おやすみ。ルナ」

明日もまた、コーヒーの香りとルナの声から、わたしの一日がはじまる。

まだ見ぬカフェ、「恋も夢も、一休みも、ここにある」──

その扉を、いつか開く日のために。

------✅ 第一話 完

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